新元号の「令和」の出典元として万葉集が注目を浴びている。 万葉集は7世紀~8世紀に編まれた和歌集で、日本語史の中では「上代日本語」という、奈良時代以前の言葉で書かれている。 奈良時代と言えば1300年以上も前で、気が遠くなるような昔であるが、実はそんな時代に使われていた言葉の一部が、今も島ことばの中に残っている。 今回は、現代日本語で失われたが、島ことばの中で生きている古語について書きたいと思う。
「令和」の出典元、万葉集巻五(新日本古典籍総合データベース)
■語彙 皆さんの島のことばでは「私」のことを何と言うだろうか? 奄美・沖縄諸島には「わん(喜界・徳之島・沖縄)」「わぬ(沖永良部・与論)」「ばん(宮古)」「ばぬ(石垣)」「あぬ(与那国)」などがある。 このうち「わん・わぬ・ばん・ばぬ」は、万葉集の防人歌(さきもりうた)(当時の東国方言で詠まれたとされる)に現れる「我奴(わぬ)」に遡る言葉であり、 「あぬ」は同じく万葉集に現れる「吾(あ)」に遡る言葉とされている。
また、上代日本語では二人称(お前)を表す言葉として「ナ(汝)」を用いているが、これは奄美群島から沖縄島の諸方言で、 敬語(あなた)に使う「なん(奄美大島)」「なた(沖永良部)」「なー(沖縄)」等として残っている。 他にも、芋を「うむ」「うん」と言ったり、妻を「とぅじ」と言ったりするのも古語の名残である。 島ことばを知っていると、日本の古典の中にも親しみがある言葉が見つかるかもしれない。
■音 日本語の「昔の音」も島ことばの中に保存されている。皆さんの島では「鼻」を何というだろうか? 中本正智『図説琉球語辞典』によると、奄美・沖縄諸島には「ぱな(与論・宮古・石垣)」「ふぁな(沖縄中北部)」など、 鼻に「ぱ」や「ふぁ」の音を使う方言がある。実は、この「ぱ」「ふぁ」の音は、日本語の昔の音が残っているものと考えられている。 日本語のハ行は、pからf、そしてhの音へと変化したと考えられていて、 1603年に発行された日葡辞書(当時の日本語をオランダ語で記録したもの)では「日本」は〝Nifon(ニフォン)〟「母」は〝Fafa(ファファ)〟のようにfの音で書かれていた。 本土諸方言で変化してしまった音が、今も「島の音」として残っていることは非常に面白い。
■文法 最後に文法にも古語の形跡が残っている。中学校の古文で「係り結び」という文法規則を習った覚えはあるだろうか。 これは、文中に特定の助詞が現れると、後の動詞の活用形が変わる規則で「鴨ぞ 鳴くなる(鴨が鳴く、万葉集375)」のように、 文中に「ぞ、やむ、や、か」という助詞がくると後の動詞が連体形(「~る」の形)になる。
島ことばには、古語の「ぞ」にあたる助詞として「どぅ」があり、文中に「どぅ」があると、後の動詞が特定の形に変わる。 例えば、沖永良部方言では「私が悪い」と言うときには「わが わろさん」と言うが、 その文を「(あんたじゃなくて)私が悪い」などと強調する時に「わがどぅ わろさる(私が悪い)」のように表現することがある。 二つ目の文では、文中に「どぅ」があるため、最後の動詞が「~る」という特別な形になっている。 こうした、文中の助詞が後ろの動詞の形を変えてしまう文法規則は、日本語では室町時代にはなくなってしまったが、島ことばの中には今も生きている。
このほかにも、島ことばには古語の痕跡がたくさん残っている。 そしてその痕跡を辿ることで、文献だけでは分からない古語の体系や、日本語の歴史が分かることがある。 普段何気なく耳にする島ことばの中には、何百年も前に生きた人々が使っていた言葉の謎を解き明かす鍵が今も息づいているのである。