2018年11月24日、沖縄・宮古島で文化庁の「危機的な状況にある言語・方言サミット」が開かれ、 日本各地の危機言語の保存と継承に向けた取り組みが紹介された。 その翌日、 宮古方言大会の「歴代チャンピオン大会」が開かれ、歴代優勝者たちがみゃーくふつ(宮古語)で流暢なスピーチを披露した。 ひと際会場を沸かせていたのは、フランス人のセリック・ケナンさんである。 セリックさんは10年に来日。京都大学で博士課程に在籍しつつ、国立国語研究所で宮古語の研究を行っている。
2015年みゃーくふつ(宮古方言)方言大会で優勝したセリックさん
◆なぜ島ことばに興味を持ったのか?
セリックさんは元々語学が好きだ。外国語を話すことで「自分が入れるはずのないところに入れる」ことが魅力だという。 父のルーツである、トルコで語学研修を受けた際に日本人と知り合い、遠い異国の言語(日本語)に興味を持った。 日本語を学ぶために一橋大学に留学、その後、言語学を勉強するために京都大学修士課程に入学する。 そこで田窪行則教授(現:国立国語研究所所長)の宮古語池間方言の授業を受け「日本語と似ているけれど、違う」宮古語に興味を持つ。 修士課程が終わる3月に初めて宮古島を来島。宮古語は「消滅危機言語」と聞いていたが、 日常生活では宮古語が飛び交い「生き生きと使われていて、何でも表現できる」ことに新鮮な驚きを覚える。 4月には宮古島に移住することを決意、2年間「宮古語を話せるようになるために」宮古島で生活をした。
宮古島では「方言の先生」として過去の方言大会優勝者、長間三夫さん(昭和30年生)を紹介される。 長間さんは「方言をしゃべりたいんだったら、私の所に毎日来なさい。私は日本語でしゃべらないことにしますから」と言い、 セリックさんには宮古語だけで話しかけた。やがてセリックさんは長間さんと宮古語の漫才コンビを作り、島内外を回って人気を博す。 2年間、日本語で話しかけてくる人との付き合いを絶ち、まさに宮古語漬けの日々を過ごした。
◆島ことばの習得に必要なもの
セリックさんは母語のフランス語以外に、日本語、宮古語など5言語を習得している。 それを聞くと、常人離れした語学の天才のようだ。 しかし、本人曰く「聞いたら自然に話せるようになる」というタイプではなく、どんな言語も文法をコツコツ学び、 その言語で書かれた文章をたくさん読んで習得するという。 宮古語を習得する上で一番大変だったのは「教材がないこと」だった。 方言集はあるが、方言がある程度分かるようになるまで使えない。 研究論文もあったが、語学習得のためには不足がある。 「言いたいことをどう表現したらいいのか?」「なぜそんな表現をするのか?」疑問に思った時に、参考になるものは何もない。 その都度人に聞いて、自分なりに文法を分析するしか術はなかった。 教材の他に重要なことは「話すこと」だ。 宮古島での日々は、まさに言葉を実際に使うトレーニングになった。そして、今も定期的に島に通うことで言葉を維持している。
◆島ことばの魅力と継承に向けて
消滅危機言語を継承しよう、と言うとき、私たちは「すべき論」にとらわれがちだ。 しかし、新しい言葉を習得することは、本来、新しい世界を垣間見るワクワクするような経験である。 それが少数言語であるなら、なおさら「他の人が知らない秘密の入り口」を手にすることになる。 外から見た時に、島ことばがそんな魅力的な一面を持つことを知ってほしい。 そして、世界のどこかの人が、縁あって島ことばに興味を持ったとき、その言葉を学べるような教材や、 話してみれる環境が整うことを願いたい。 そのことは、島の人が自分達の文化(言葉)を継承していく時にも大きな力になるはずである。