初めて沖永良部島に行ったとき、島のおばあちゃんに何かを尋ねられたのに、それが質問に聞こえず戸惑った記憶がある。 その謎が解けたのはずいぶん後のことで、島ことばのイントネーション(節)を調べたときだった。 世界の言語の多くは、「はい/いいえ」で答えられる質問文のとき、文末のイントネーションが上がることが知られている。 日本語や英語もそうである。しかし、奄美・沖縄の諸方言では質問文で文末のイントネーションが下がる。
沖永良部方言のイントネーションと助詞について(しまむに宝箱教材「えらぶむにってどんなことば?」より抜粋)
上の図は、沖永良部島国頭方言で「アリワ ヒブシド(あれは煙だよ)」という普通の文と、「アリワ ヒブシナー?(あれは煙か?)」と質問する文の音の高さを測ったものである。 普通文の時には高く平らに終わっているのに対し、質問文のときは急激に下がっているのが分かる。 私に話しかけてくれたおばあちゃんは、共通語に島ことばのイントネーションをのせて話してくれたのだろう。 「最後が下がるのは断定してるとき」と思い込んでいる私には質問に聞こえなかったのだ。
他にも島ことばには世界的に珍しい特徴がある。それは、共通語でいう「を」にあたる助詞がないことである。 徳之島~沖縄本島までの諸方言では、主語を表す「が」にあたる助詞がある一方で、目的語を表す「を」にあたる助詞がない。 (1)(2)は、沖永良部島国頭方言の「サブガ メー カダン(サブがご飯を食べた)」「アマヌ ワン アビタン(お母さんが私を呼んだ)」という二つの文である。 どちらの文も、主語には「ガ/ヌ」という助詞がつくのに対して、目的語には何もついていない。 世界の言語を見渡すと、日本語のように主語と目的語の両方に印をつける言語や、目的語だけに印をつける言語はあっても、主語だけに印をつける言語はほとんど報告されていない。 これは世界の言語の常識や理論を覆す特徴なのである。
もうひとつ日本語と比べて面白い特徴がある。それは「二つの数を表す言い方がある」ということである。 日本語や英語ではI(私)とwe(私たち)のように、文法的に単数と複数を区別する。 これに対して、アラビア語では'anta(あなた)'antumʔ(あなたたち二人)'antum(あなた方)のように、 単数と複数の他に「2」を専門に表す数(双数(★そうすう))がある。 アラビア語ほど徹底していないものの、奄美諸方言も一部の代名詞に双数形がある。 新永悠人特任助教(国立国語研究所)によると、奄美大島宇検村湯湾の言葉で、「私」は「ワン」、「私たち(2人)」は「ワッター」、 「私たち(複数)」は「ワーキャ」という。「ワッター」は3人以上を指す時には使えない。 つまり単数、双数、複数の三つの数が区別されているのである。 双数が区別される方言は、今のところ日本全国でも奄美地域にしか見つかっていない。
方言は「共通語とどう違うか」ということに目が行きがちだが、島ことばを「ひとつの言語」としてみると、また違う世界が見えてくる。 どんな方言にも、それぞれ固有の宇宙がある。その仕組みの緻密さは、先人たちが言語を使ってきた歴史の所産だ。 そんな言葉の奥深さを思いながら、島ことばの研究を続けている。